~ さくら坂保育園のブログ ~
※本ブログで使用している写真・画像を許可なく使用することは禁止します
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
※以下の文章はご家族の同意を得て掲載しています。
今年、沢田知可子さんのコンサートが草津市であった・・・
ご縁があって園歌を作ってもらったので、コンサートを聴きに行った。
そこで、『会いたい』の歌が流れた時、ある一人の女性の姿を思い出して涙が止まらなくなった。
平成19年4月 第1回入園式、その歌声の美しさに多くの人が感動したのだが、私にはある
一人の女性が涙していたのが、強く印象に残った。。。その人こそ美穂さん、その人であった。
彼女はどんな思いで聴いていたのだろうか・・・
平成19年4月 第1回入園式、その歌声の美しさに多くの人が感動したのだが、私にはある
一人の女性が涙していたのが、強く印象に残った。。。その人こそ美穂さん、その人であった。
彼女はどんな思いで聴いていたのだろうか・・・
初めて彼女の存在を知ったのは、保育課にて担当者から両親の就労の為、保育園入園希望
が出されていた方が、入所理由が就労予定から病気治療に変更になったと知らされた時だった。
が出されていた方が、入所理由が就労予定から病気治療に変更になったと知らされた時だった。
彼女は通院しながらも、毎日保育園の送り迎えだけは自分でしていた。どんなにしんどくて
治療がつらい時でも正門前のこの急な坂道をがんばって登り続けた。
治療がつらい時でも正門前のこの急な坂道をがんばって登り続けた。
それはまさに“がんばって”というような状態でも登り続けた。「大変な時は、前に車を置いてもいいし、
インターホンで呼んでくれたら迎えに行くよ!」」と声をかけてもよほどの時以外は、自分で送迎を続
けた。あまりにつらそうな様子に「送迎を誰かに代わってもらったら?」と声をかけた事もあったが、
「おとうちゃんが、家の中の事や子どもの事…本当によく頑張ってくれている。私がしんどそうな
時は背中もさすってくれる。だからこそ、送迎だけは私の仕事だから、やれるまで頑張りたい。」
強い意志で入院するまでやり通した。
インターホンで呼んでくれたら迎えに行くよ!」」と声をかけてもよほどの時以外は、自分で送迎を続
けた。あまりにつらそうな様子に「送迎を誰かに代わってもらったら?」と声をかけた事もあったが、
「おとうちゃんが、家の中の事や子どもの事…本当によく頑張ってくれている。私がしんどそうな
時は背中もさすってくれる。だからこそ、送迎だけは私の仕事だから、やれるまで頑張りたい。」
強い意志で入院するまでやり通した。
そんな意志の強い彼女でも何度か涙が止まらなくて崩れるように立てなくなった事があった。
彼女がいつも話していたのは・・・
「私は最高の結婚をした。あんな素敵なとうちゃんは世界に1人だけしかいない。」
「私の人生は人よりずっと短いけど誰より幸せだったと思う。」
「私は最高の結婚をした。あんな素敵なとうちゃんは世界に1人だけしかいない。」
「私の人生は人よりずっと短いけど誰より幸せだったと思う。」
そして、
「死ぬのは怖くないけど、ただあの子のそばにいられなくなるのがつらい。」と・・・
「死ぬのは怖くないけど、ただあの子のそばにいられなくなるのがつらい。」と・・・
つらい話だけでなく遠距離恋愛中の話も聞かせてもらった。
彼女は本当にごく普通に恋愛をして子どもを生み、ごく当たり前の未来を想像していただろう。
時には、闘病のつらさから苛立ち、大好きなとうちゃんや我が子に八つ当たりした日は彼女は
ひどく傷ついていた。
「こんなにも大切にされているのに・・・」
ひどく傷ついていた。
「こんなにも大切にされているのに・・・」
彼女が願ったのは、 ただ我が子のそばにいる事だった…
7月1日 享年33歳。美穂さんは多くの心を残したまま逝ってしまった。
ご葬儀の時に、多くの若いママ達の姿に驚いた。園長になる前、南草津駅周辺で子育て支援関係
のNPO活動をしていた。そのサークルに来ていたママ達も大勢来ていた。彼女は病気になるまで
たくさんのママ友達とサークルに行ったり、ランチに行ったり…
ママ友と過ごしていた姿が目に浮かんだ。
のNPO活動をしていた。そのサークルに来ていたママ達も大勢来ていた。彼女は病気になるまで
たくさんのママ友達とサークルに行ったり、ランチに行ったり…
ママ友と過ごしていた姿が目に浮かんだ。
彼女の話をわざわざ公開することに疑問を感じる方もいるかも知れないが、またご家族の気持ち
も考えたが、彼女の言葉がいまでも頭から離れない。
も考えたが、彼女の言葉がいまでも頭から離れない。
私達は我が子のそばにいられる…触れることができる…声が聞ける…
そんな当たり前のことがどんなに幸せな事なのか、私達はすぐに忘れてしまう。
我が子を授かった時、生まれた時、、、胸の中がじ~んと熱くなった記憶が薄れかけてくる。
あるお母さんが「私達に何ができるのかな?」と言ってくださったが、私達ができる事は彼女が
教えてくれた“ただ我が子のそばにいる幸せを忘れずにいる事”なのかもしれない・・・
教えてくれた“ただ我が子のそばにいる幸せを忘れずにいる事”なのかもしれない・・・
そして、彼女がこの坂をどんなに頑張って登っていたのかを知って欲しいと思った。
“ただ、我が子のそばにいたいだけ・・・”
彼女が叶えられなかった幸せを忘れないでいたいと思う。
さくら坂保育園 園長 太田 加奈子
PR
この記事にコメントする